カテゴリ:アフガン雑記帳( 23 )
AFGHAN FILMと韓国資本の映画
アフガニスタン最大の撮影所が、カブールの市内にあるアフガンフィルムです。ここには監督をはじめ多くの技術者が所属していますが、それぞれが自分の事務所を持ち活動しています。所長でもあるラティフ監督はアリアナフィルム、カンヌで2003年にカメラドールをとったセディク・バルマク監督はバルマクフィルムというように、フレキシブルな体制を取っていると共に、各人が一人一人自分の作品には責任をもつというクリエイターのリスク管理がなされています。いわゆる「商業映画で自分が撮りたい作品を自分のリスクで実現する」という基本的な姿勢がそこにはあります。
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20年以上も続いた長い紛争の中で、クリエイターには国外に逃れた人もいれば、国内にとどまり命を失った人たちもいます。アフガンでの監督たちはモスクワ大学に留学した人も多く、クロサワ、ミゾグチ、オヅは共通ワードでした。

昨今バルマク監督は、いま麻薬問題で揺れるアフガンの現状をふまえ、韓国資本で「アヘン戦争」という大作映画を撮り、来年はラティフ監督が「SITARA」という同じ資本の映画を撮ります。10年前のアジア通貨危機に陥り、IMFが国の経済に介入し、国の施策として文化を武器に映画大国になった韓国は、もはや隣国に目を向けずにフランス同様、中東の「映画的資源」、そして映画を一過性の叙情だけではなく、「叙事詩」として描ける才能に目を向けているのが実情です。そしてそれを世界基準でプロデュースできる才能がたくさんいます。
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by hugmachine | 2007-10-28 09:25 | アフガン雑記帳
「KABUL TRIANGLE」
2003年カブール渡航の際、アフガンフィルムでは、娯楽を禁止したタリバンによって撮影機材が破壊され、カンヌの常連のイランの監督のマフバルバフ氏(Mohsen Makhmalbaf)から支援を得たSONYのPD150という小さなカメラが1台のみありました。
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帰国前にカブール大学の芸術学部に行って映像学の講義を見せてもらい、映画学は学ぶことができますが、撮影という一番大切な実習がないことを知り、協働プロジェクトのドキュメントオムニバスを機器を供与して撮影してもらうことを申し出ました。その後、3度渡航し編集のインフラがないので日本に監督の一人のラドマニッシュ氏(カブール大学講師)を招聘し、天理大学の協力で一ヶ月編集、音楽を制作して完成させたのが掲題の映画「KABUL TRIANGLE」(渋谷UPLINK等で公開・DVD発売中)です。当時の様子の取材記事はココをクリックしてください。その芸術学部に私を案内してくれたのが、ラティフ監督でした。下の写真は映画よりの抜粋のスチールです。
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by hugmachine | 2007-10-28 01:18 | アフガン雑記帳
ことの発端
2003年、アフガニスタンに渡航しました。当初考えていた映画関係者の養成も意識した商業映画「MILK」の製作のアフガンにおけるインフラを見るためで、カメラを持って行きその映画のデモリールを作りました。表現は良くないですが、ある意味支援慣れしている彼らは一見さんを極端に敬遠します。支援の目的、波及効果が見えないと相手にしくれません。実は私の父でもある井上昭夫(天理大学教授)が昔からアフガン難民支援をしていて、その30年の蓄積を得た上での人脈を辿って可能になった渡航と撮影でした。
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出演者を捜していたところ宿泊先のカラワンサラというゲストハウス(民宿のようなもの)の女性オーナーが孤児院を自費で経営していると聞き、そこにいたある女の子(仮名・ザラ)に頼んで、そのデモリールに主演の女の子MILKとして出演してもらいました。ザラも孤児で、心臓手術のためそのオーナーが資金を捻出しUAEで治療していました。
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現在はアメリカに養子縁組みができ渡米したようです。デモの撮影をする前に同じ孤児院の女の子に髪の毛に水をなでつけてもらい整えていて、目があったら恥ずかしそうにうつむいたのを思い出します。この映画「MILK」では、主人公のMILKは父を内戦で亡くしています。母子家庭という設定ですが、母親役は出演交渉が難航しました。やはり文化的風土の問題で女性は写るという行為に対してポジティブにはなれないのです。ある外交官の娘でアメリカから留学して帰ってきた女性に出てもらいました。その母が思いを寄せる男にカブール大学芸術学部の学生、弟役は同じ孤児院の男の子に演じてもらいました。もう4年も経って内容は違いますが、その映画「MILK」の着地点がこの合作になっています。プロデュースの村山達哉氏とは、コマーシャルの仕事で縁ができ、それが本映画の製作母体のNPOクロスアーツ設立につながり、大沢伸一氏という国境を越えたメジャーなアーティストも加わり、来年公開として足かけ4年、小規模ながら日本とアフガニスタンのアーティストたちのそれぞれの「ビジョン」がある面白い作品作りが進行しています。渡航前には現在、中国・韓国との地に足の着いた映画交流に欠かせないキーパーソンでもある映画プロデューサーの古澤敏文氏に合作プロデュースの陥穽と海外での映画撮影のリスクヘッジについての教示を請いました。
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by hugmachine | 2007-10-27 09:09 | アフガン雑記帳